藤田信雄海軍中尉とは?アメリカ本土を爆撃した唯一の日本人はなぜ海外で反応がいいの?

こんにちは、なおです。

もうすぐ終戦記念日ですね。

私は「アンビリバボー」が好きでよく見るのですが、

8月9日の放送でタイトルの「藤田信雄海軍中尉」のスペシャルが放送されるみたいです。

藤田信雄さん・・・

私は不勉強ながら存じませんでした。

一体どんな数奇な運命をたどった人なのでしょうか。

気になったので調べてみました!

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藤田信雄ってどんなひと?

・史上唯一アメリカ合衆国本土に対して、航空機による爆撃を実施した日本人

・彼の任務は、オレゴン州ブルッキングズ市に近い太平洋岸北西部に焼夷弾を投下して、大規模な山火事を発生させるというものだった

・戦後はアメリカから敵国の英雄と歓迎を受ける

どうして一人で任務を命令されたの?

当時戦況は悪く、

日本は起死回生の策として、

「アメリカの資源を奪うこと」を目的とした大規模な山火事を起こされる作戦が立てられました。

敵の目をかいくぐり、隠密に行うことが必要だったこの作戦。

藤田中尉は類まれなる飛行機操縦の腕を持っていたので、

この無謀な作戦に選ばれたんですね。

正確には、奥田兵曹という人も戦闘機に同乗していたらしいですが、

アメリカ相手にたった一機で突撃命令なんてどう考えても無謀。

藤田中尉は生きて帰れる自信がなく遺言を残したそうです。

しかし彼は生きて戻ってこられました。

任務は遂行しましたが、

「大規模な山火事」には至らず、作戦的には失敗。

そんな彼を軍の上層部は「小枝を燃やしただけ」と叱責したというのです。

なんて理不尽な・・・

爆撃したのになんでアメリカで歓迎されているの?

日本ではそんな扱いだった藤田中尉ですが、

アメリカでは「本土を爆撃したただ一人の兵士」として、

勇敢さが讃えられていたそうなのです!!

藤田中尉がそれを知ったのは戦後17年も経ってからのこと。

政府首脳に呼び出され「アメリカが君を探しているので行ってくれ」と言われた彼は、

不測の事態に備えて、自決用の刀を忍ばせて、

アメリカへと渡りましたが、

予想に反して英雄としてその勇気を讃えられ、歓迎されたのです!

その歓迎ぶりに、日本でもそんな扱いを受けたことが無かった彼は感激し、

自決用として持ってきていた、家宝の刀を友好の証として渡したそうです。

それからもオレゴン州ブルッキングス市と彼の交流は続きました。

1997年、彼の死は日本ではほとんど報道されることがありませんでしたが、

アメリカのニューヨークタイムスでは、

大きく報じられたそうです。

日本での知名度が低いのはどうして??

藤田中尉が実行したこの作戦は日本軍部内でも極秘とされており、

詳細は今もわかっていないのです。

戦争は終わりを迎えたその後も、

藤田中尉は極秘任務の話はもちろん、

戦争の話を家族に一切語ることは無かったとのことで、

大々的に世間に知られることは無かったのですね。

日本では1995年12月29日放送の『たけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人5000人伝説』(日本テレビ)にて取り上げられ、

存命中だった藤田さんも出演されたそうです。

これもきっかけとなり、今の世代にも彼の功績は広く知られることになったようですが、

日本ではまだまだ知らない人も多い英雄です。

彼のエピソードがわかる本

こちらもありましたので、

彼についてもっと知りたいと思った方はこちらもどうぞ!

おわりに

この季節になるとTVは戦争のテーマも多くとりあげられ、

毎年考えさせられますね。

今の平和な世の中を、

私は精一杯、生きていきたいなあと思うのです。

ここまでお読みいただきありがとうございました(^^)/

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